浦安のお洒落
お囃子ってなぁに!?
 浦安のお囃子は、5人で演奏(えんそう)する「五人囃子(ごにんばやし)」だぞ。お囃子はお祭(まつ)りを盛(も)り上げるためには欠(か)かせない庶民(しょみん)の芸能(げいのう)だったんだ。
 
 
五人囃子
 
●浦安囃子のはじまり
 昭和(しょうわ)21年(1946)、敗戦直後(はいせんちょくご)の楽しいことのない時代(じだい)に「自分たちのお囃子をつくろう!」と5人の漁師(りょうし)[板倉亥之助(いたくらいのすけ)・三矢光太郎(みつやこうたろう)・宇田川庸蔵(うだがわようぞう)・泉沢音次郎(いずみざわおとじろう)・三橋巳之助(みつはしみのすけ)]が、江戸川対岸(えどがわたいがん)から聞(き)こえてくる葛西(かさい)のお囃子を習(なら)ったことから、浦安のお囃子は始まりました。
 習い始めて1年後、「浦安囃子睦(むつみ)会」をつくったんだ。その後、
師匠の首代伝五郎(しゅだいでんごろう)・石井金之助(いしいきんのすけ)・牧野藤三(まきのとうぞう)に連(つ)れられ、各地のお祭りや結婚式(けっこんしき)に参加(さんか)したり、プロから頼(たの)まれ助っ人としていろいろな所でお囃子を演奏(えんそう)したんだ。

●お囃子の歴史(れきし)
 江戸の有名なお祭り「神田祭」を盛(も)り上げるために演奏(えんそう)されたのは「お囃子」なんだ。当時はわざわざお囃子を演奏するために葛西の人たちを呼んでいたんだ。
 
 お囃子の歴史は、江戸時代中期(えどじだいちゅうき)、葛西金町村(かさいかなまちむら)の香取大明神(かとりだいみょうじん)の神主(かんぬし)が、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈(いの)るため、和歌(わか)の音に合わせて笛(ふえ)と太鼓(たいこ)のリズムを工夫した「和歌ばやし」が元(もと)とされています。
 このお囃子を神田大明神(かんだだいみょうじん)のお祭りの時に、将軍(しょうぐん)に見せたところ気に入ってもらい、江戸の祭りにはなくてはならないものになりました。

【葛西囃子から広がったお囃子】
 お囃子が江戸で流行(りゅうこう)するようになると、深川(ふかがわ)では「深川ばやし」、本所(ほんじょ)では「本所ばやし」、浅草(あさくさ)では「住吉(すみよし)ばやし」と、各地(かくち)でいろいろなお囃子が生まれました。
 そのほかに、有名(ゆうめい)な「神田ばやし」「目黒(めぐろ)ばやし」も葛西囃子から広まったお囃子です。