キティ台風の襲来
●キティ台風の猛威(もうい)
 
キティ台風で校庭が水浸しになった学校
キティ台風で校庭(こうてい)が水浸(みずびた)しになった学校
 
 浦安の人びとが「戦争(せんそう)の次に思い出したくない出来事」として口にするのが、昭和(しょうわ)24年(1949)に関東(かんとう)を直撃(ちょくげき)したキティ台風です。
 戦後(せんご)、ようやく復興(ふっこう)に向かいつつあった時代に、自然(しぜん)の力によって大水害(だいすいがい)が引き起こされ、浦安は大きな打撃(だげき)を受けました。
 
【当時の記録(きろく)による
 被害状況(ひがいじょうきょう)】
■ 浦安町全戸数(ぜんこすう)3,240戸のうち
床上浸水(ゆかうえしんすい) 2,419戸
流失(りゅうしつ)または全壊(ぜんかい)した住家 140戸
■ 船などの漁業資材(ぎょぎょうしざい)、農作物(のうさくぶつ)などの被害総額(ひがいそうがく)
被害総額 4億(おく)473万円
 
 キティ台風の被害額は、当時の浦安町が1年で使うお金のなんと約(やく)10倍にもなったのよ!
〔昭和24(1949)年度浦安町総予算額(そうよさんがく)4千615万6千円〕
 
気候のじてん
まちのじてん
そのほかのじてん