浦安の投網漁
浦安投網の原点
 浦安の投網は「細川流(ほそかわりゅう)[すくい取り]」と呼(よ)ばれる豪快(ごうかい)な投げ方で、江戸時代中期(えどじだいちゅうき)に肥後藩(ひごはん)[今の熊本県(くまもとけん)]の「細川の政(まさ)」という漁師(りょうし)によって伝えられたものでした。
 
●「細川の政」から伝えられた技(わざ)
 
 政(まさ)は、江戸の熊本藩細川家(くまもとはんほそかわけ)の下屋敷(しもやしき)にいたことから「細川の政」と呼(よ)ばれていたんだ。

投網漁(とあみりょう)
投網漁(とあみりょう)
 
 当時の江戸の投網は、「二つ取り[土佐打(う)ち]」という投げ方で行われていましたが、政は熊本の投げ方である「すくい取り」という投げ方を教えました。「すくい取り」は、船で広い範囲(はんい)を移動(いどう)しながら打つのに適(てき)し、力のない人でも練習次第(れんしゅうしだい)で大きく網を打てることから、あっという間に広まり、「細川流」と呼ばれるようになりました。
 

【政から技術を受け継(つ)いだ投網師】
 明治(めいじ)に入ると、政は浦安に移(うつ)り住んで晩年(ばんねん)を過ごし、浦安の投網師にこの技(わざ)を教えていました。
 政に直接(ちょくせつ)習ったという投網師の子孫(しそん)たちが、今もこの技を伝えています。
投網漁(とあみりょう)
▲投網師家系図(とあみしかけいず)
 浦安では、高梨源八(たかなしげんぱち)、藤松八五郎(ふじまつはちごろう)といった伝説(でんせつ)の投網師も、直接政から習ってたんだぞ。