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ここは善福寺(ぜんぷくじ)という場所です。ここは明暦(めいれき)2年(1656)に建てられたと言われています。明治時代(めいじじだい)には、住職(じゅうしょく)の影信(えいしん)が教師(きょうし)となり、本堂(ほんどう)を教室として当代島(とうだいじま)小学校を開校しました。 |
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●かるめや不動尊(ふどうそん)を調査(ちょうさ)
明治(めいじ)から大正(たいしょう)にかけて活躍(かつやく)した「本田
宗久(ほんだそうきゅう)という修験者(しゅげんじゃ)をまつったものです。宗久は病気直(びょうきなお)しの加持祈祷(かじきとう)をしながらかるめ焼(や)きを売り歩いていたため「かるめさん」と呼(よ)ばれ、親しまれていたと言われていますよ。
※「修験者」とは:修験道を修行する人で、小さな布(ぬの)をかぶり、仏具や衣類(いるい)、食器(しょっき)などが入った足つきの箱を負い、金剛杖(こんごうじょう)を持ち、ほらなどを鳴らして山などを歩いて修行することです。
【調査する内容】
・「かるめさん」について調べよう。 |
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●六地蔵(ろくじぞう)を調査
六地蔵(ろくじぞう)は、昭和(しょうわ)5年(1930)にノリ漁(りょう)の準備(じゅんび)で海に出かけた7人の漁師(りょうし)のうち、遭難(そうなん)した6人の冥福(めいふく)を祈(いの)るために、生き残(のこ)ったひとりが建(た)てたんですよ。
【調査する内容】
・六地蔵以外(いがい)に、善福寺(ぜんぷくじ)にあるものについて色いろ調べてみよう。 |
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